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サクっと日本史③聖武天皇の弟VS子ども

今回は古墳時代(3~7世紀頃)の後半戦~

聖徳太子が死んでからの

歴史の動きを見て行きましょう。

以下の動画も一緒によろしく(´ω`)ノ

>>この記事の復習動画<<

聖徳太子の死後

蘇我入鹿そがのいるかが調子に乗る!

中大兄皇子なかのおおえのおうじ中臣鎌足なかとみのかまたりが入鹿を暗殺

・645年に大化の改新

①公地公民‥土地・人は天皇のもの

②班田収授法‥農民から税金を取る仕組み

But 改革は順調に進まない‥。

・防人‥九州の兵士(中国からの侵入を守る)

二人のその後

・中大兄皇子→天智てんじ天皇

・中臣鎌足→藤原の姓をもらう

天智天皇の死後

・天智天皇の子ども VS 天智天皇の弟

壬申じんしんの乱(672年)という

・勝ったのは弟で、後に天武てんむ天皇となる

公地公民を実現させ、土地も民も我が手中に

天武天皇の死後

701年に大宝律令が完成

(律‥刑法の事   令‥法律の事)

班田収授法で、6歳以上の男女に口分田が与えられる

・3つの税金

‥稲による税。収穫した稲の3%を収める

よう麻布あさぬのによる税。

調ちょう‥絹などの特産物。

・その他の税に九州の防人さきもりがあった

その他

古事記‥日本最古の歴史書

日本書紀‥日本に伝存する最古の歴史書

もよろしく(*´з`)ノ